Multiple Spirits

2018-08-31

マニフェスタ12 リポート(パート1)

『マニフェスタ(Manifesta)』はヨーロッパの都市で2年に1度開催される国際展。前回2016年はダダ100周年を迎えたチューリッヒで開催され、12回目となる今年のマニフェスタは地中海の浮かぶイタリアはシチリア島のパレルモ。せっかくの機会ということで、ウィーンからカターニアに降り立った私たちマルスピ編集部こと丸山と遠藤は、カターニア空港からバスにてパレルモに向かいました。 
批評でもなくレビューでもなく、回想しながらの会話形式でマニフェスタの様子をお伝えします🌙 まずは、1日目と2日目!

❤️1日目❤️

丸山美佳(以下🌵):麻衣ちゃんは初めてのイタリアとのことですが、シチリア島はいかがでしたか?

遠藤麻衣(以下🍋):すごく湿気が多くて暑かった…。でも街並みは見た感じ乾燥していて、全体的に薄茶色い。砂や岩が多くて、緑が少ない。第一印象は生き物が生きにくそうな感じがしました!

🌵:パレルモ行きのバスからの景色は永遠に乾いた丘みたいなのが広がっていて、ここでは絶望するとか話していたよね。

🍋:そうそう。だって、地面からはミミズとか虫とか生き物の気配がしなさそうだし、視界全部が薄茶色い砂地を一人延々と歩くことを想像すると、気が違いそうだなと。こりゃ土から信仰は生まれなさそう、とか空を見上げたくなる場所だとか話していたね。あとは、植えられている木が何か当てる、ということもしていた。

🌵:そうそう、私は密集している野生のサボテンに夢中だったんだよ。カターニア空港にも生えていたけど、あれが密集している姿はすごいというか、いままでに見たことがない生命体のようで私はすごく感動した。

🍋:変な形だったねー!平べったい葉っぱとも茎ともつかないものが接合されてて。他にも柑橘類が植樹されている場所やオリーブの樹を見つけて二人で妙にテンションが上がったね。薄茶色い砂地がずっと続いている時に、植物を見つけると仲間を見つけた!みたいな気分になって、一個一個の植物の存在感を強く感じた。

🌵:その意味でマニフェスタのタイトルが「The Planetary Gerden. Cultivating Coexistance.」で庭というか植物を展覧会を包括するメタファーとして使っていたのは、シチリア島の地理的な条件ならではであったのではと、後からこの会話を振り返って思った。

🍋:まさに。場所に連想を促されていた。

というわけで、パレルモに着いた私たちはとりあえず寝不足だったのでホテルで仮眠をとり、ビーチに向かう準備。というのも、マニフェスタの映画プログラムが行われているTeatro Garibaldi(中心地からバスで20分くらい、1.5ユーロ。道中はワンダーランド。)はまさにビーチの真横!シチリア島に行って泳がないわけないということで、とりあえず、泳ぎました。

🌵:ビーチのクオリティはまあまあでしたね。

🍋:厳しい(笑)どこまでも浅瀬だった。サイドに見える山の上に変わった遺跡があった!

🌵:あれは遺跡なのか、モダン建築物なのか謎だった。あと、イタリア人男性がみんな白シャツジーンズに素足の靴だったのが笑えた。

🍋:うん、やっぱりそうなのかと納得してしまった(笑)そしてみんな太陽のような笑顔。バーの店員さんもお客さんもみんな白シャツだから、どの人にオーダしていいか悩んだ…。

🌵:リゾート地だからかえって性別を強調するコンサバな服装が多いと思った。そんななか、私たちはTeatro Garibaldiで真面目に21時から映画を観たわけですよ。『それは息子だった(原題:È stato il figlio)』 (2012年) というパレルモが舞台になった映画で、おそらく監督がトークしていたよね。イタリア語で全く理解できなかったけど。

🍋:うん、あれは多分監督だったと思う。とにかく気持ちがいい場所だった。

🌵:野外だし、日が沈んで海から良い風が入ってたよね。麻衣ちゃん、映画の最中も気持ち良さそうに寝てたもん。

🍋:もうサイコーだった。ロッキンチェアにどかっと半分寝転んでいる状態で、ほろ酔いだし。でも映画の初めの方は見ていたよ。

🌵:本当か疑わしい(笑)。内容としては、パレルモのある家族の話なんだけど、マフィアに娘を殺されて、その慰謝料を巡って生活が破綻していくってストーリーでシリアスに見えるのにコメディだった。

🍋:そうそう、父親の演技が、憎めないキャラクターを醸し出していた。父親、母親、祖父母、息子、娘、弟夫婦の家族構成だよね。途中、その家族がビーチへ車を出して泳ぎに行くシーンがあったんだけど、まさにさっきまで私たちが泳いでいたビーチにはそんな家族づれがたくさんいて、これがこの街のリアルなのかなあと想像したりした。街の狭い路地で子供達が空のスプレー缶を焚き火に放り投げて遊ぶシーンがあって、爆発しそうで見ていてハラハラするんだけど、それもここではよく行われている遊びなんだろうか、とか。

🌵:それわりと映画の冒頭部分(笑)。映画観た後で知ったけど、シチリア島はマフィアの発祥地。マフィアとの関係性とか映画で描かれた人々の暮らしとか、コメディとはいえパレルモの街への導入として良いスタートだったと思う。

そんな感じで映画観て23時ころにマニフェスタ1日目終了。

❤️2日目❤️
午後からやっと重い腰をあげていざマニフェスタへ。ひたすら暑い。39度で日差しがヒリヒリする。この時期にパレルモに行くのは、バカンス以外ありえない。アートを見ている場合じゃなかった。とりあえず、ホテルから一番近かった会場Palazzo Buteraへ。

🍋:パレルモはほとんどが石造りの古い建物だと思うんだけど、ここの会場もそうで、少し装飾的な内装だった。入った最初の部屋には映像が置いてあって、黄色いレモンが映ってた。

🌵:マニフェストのほとんどの会場はおそらくアートインスティチューションとして使われていないところだったよね。Palazzo Buteraの会場は展覧会全体として、女性とかマイノリティー以外の存在が不在にされていたのが印象的だった。つまり、声を持っているのは移民と女性、あるいは植物だけというか。

🍋:植物の鉢がたくさん並べられていたり、花柄の壁紙が廃墟の中で一角鮮やかに貼られていたり、床一面にテラコッタが敷き詰められて、そこに街の植樹の痕跡がマッピングされていたり、不在にされていた人とその植物を絡めていた?

🌵:パレルモで作られたマニフェスタのコミッションワークが多かったからか、作品からパレルモの特徴をつかんでいくことができる場所だったからかも。概要的なパレルモの歴史は知っていても、近現代についてはやっぱり情報として入っていなかったから、彼らの声からパレルモを捉え直していくというか。例えば、地中海の地理的な状況下における樹木についてもそうだけれど、昨今の難民の話とマフィアへの抵抗運動の歴史が挿入されていた。あと、ブラジルなど移民の人たちの奴隷貿易の文脈を植物の「plant」に掛けている。アーティストでいえば、Maria Thereza AlvesとかUriel Prlowとか。

🍋:印象的だったのはウィッシングツリーにフォーカスを当てていたこと。日本でいう七夕のように、人々が書いた願いをくくりつけられた樹で、抵抗運動をしている人をその樹の視点から見下ろすような映像があった。俯瞰の視点が土地から完全に体が切り離されたものではなくて、あくまでも地に根を張ってる。

🌵:Uriel Prlowの作品だよね。なかでも、マフィアへの抵抗運動が戦後パレルモの共産主義的な動きと女性のエンパワーメントと繋がっていた文脈とか面白かった。映像に映されていたのも女性と難民だけで、あとは現代に続くデモンストレーションの中の大衆の姿。マフィアとかマフィアによって殉職した男性たちは描かれていないか死んでる(笑)

🍋:女性たちが協力してマフィアへの抵抗としての不買運動をしていたこととか、殉職した人を忘れないで生活していることとか、市井の一人一人の意識が大きな抵抗に繋がっていることを理解した。

🌵:このあたりで、1日目に観た映画もそうだけど街が背負っているマフィアの歴史を感じたし、殉職した人たちのイメージが街中にも掲げられていることに気づいた。

🍋:そうだね。この会場を出た後に、また同じ道を通ったんだけどさっきまで気がつかなかったポスターの意味がわかった!

🌵:でもこの会場で唯一、Melani Bonjoの作品は浮いたいたような気がするのは私だけかな? 彼女の作品大好きだけど。

🍋:彼女のはコミッションワークではなくて、過去作の映像を流していたからかな。植物で連想的に繋がる、という感じ?

🌵:うん、文脈的にはバッチリ。私は去年フランクフルトで彼女の個展に行っていて、全て映像観たことあるんだけれど、人間の尺度で自然を話すことの奇妙さとか、それを彼女の場合はクィア・フェミニズムの文脈かつスピリチュアルでセクシュアリティーを含みながらアプローチをする作家というか。その意味で、自然と人間っていう近代がもつ二元論的な関係性がもともと想定されていない。

🍋:彼女のインスタレーション空間は生の植物が鉢植えで展示されていて心地の良いものだったんだけど、他の作品のこの土地に根をはっている植物についての話と違って、彼女の鉢植えはポータブルというか。彼女の作品の突っ込んだ部分までは共鳴していなかったような…。

🌵:会場暑かったから、あんまりゆっくり観なかったしね(笑)

🍋:そうだね、観ていないからわからない。

🌵:その次にいったPalazzo Trinacriaは作品一つだけ。ベニスビエンナーレの時に行われたパフォーマンスのドキュメンテーションなんだけど、それを観に来たお客さんがパフォーマンスが行われてないことにキレている会話と海の様子だけだったね。

🍋:見応えのあるパフォーマンスを期待していたのにやっていないってどういうこと?!って不満を述べていた。私はちょっと苦手な感じがした…、アーティストが意識高いところから作ってるのかなあと思って。

🌵:しかもPalazzo Forcella De Setaは、最初からプロパガンダ臭のする場所でしたね。

🍋:そうだったね。ここは、国によって支援されている作品が目立った。

🌵:入口にあったドイツの移民の映像作品が本当にプロパガンダにしか見えなかったことからそうゆう印象を持ってしまったんだけれど、どの作品も全てといっていいほど、マニフェスタに参加している国が抱えている問題、例えば難民であったり植民地主義の歴史、ISとかを扱ってた。それが、国の文化的インスティチューションにサポートされているから、どうしてもヨーロッパの”善良”なプロパガンダに見えてしまったというか。

🍋:支配を受けた人や難民の側に寄り添ったインタビューがダイレクトに提示されている映像。そう、この場所で一つ、胸をついた作品があった!

🌵:John Gerrardの『Untitled (near Parndorf Austria)』(2018年)。

🍋:オーストリアの高速道路を走っていた、71人の難民を乗せたトラックが横転した事故を受けて作ったデジタル映像作品。

🌵:しかもシュミレーションでできているんだけど、長さが365日24時間(笑)

🍋:今まさに映像の中の世界を生成している…んだよね?だからずっと平行世界がつづいている、私たちが見終わったこの先も。映し出される事故が起こったその高速道路には誰もいなくて、その場所がデジタルの中で半永久的に保存され続ける。

🌵:トラックが横転していた場所には何もなくて、不在がまさに強調されていたよね。その意味で現代の新しいモニュメントとして機能しているような作品だった。あと、後から気づいて3日目にこの会場にもう一度戻ったんだけど、私たちは作品を一つ見落としていた。

🍋:そうだった。ここまで見た作品から、ヨーロッパ〜中東〜アフリカの歴史的関係を拾い上げる態度が伝わってきていたけど、見落とした作品は、シチリアに駐屯しているアメリカ軍の存在を扱ってた。

🌵:マフィアとか難民について扱っているのに、アメリカへの言及がないよ、とか思っていたら、しっかり取り上げられていた。もちろん、悪者として(笑)。しかもアメリカ軍が新しいコミュニケーションシステムを作っているらしくって、それがネットワーク上の監視と戦争に関わっているとのこと。実はマニフェスタにはタイトル以外にもキュレーションの三本柱があって(「Garden of Flows」「Out of Control Room」「City on Stage」)、この場所は「Out of Control Room」。国が持つ力とともに、見えないネットワークの繋がりについての作品が集められた空間としても機能していたらしい。

🍋:米軍基地とその外を隔てるフェンスがあって、そこを飛び越える黒人の人がいた。人種と基地との関係も複雑に入れ込んでいた。

🌵:全体的に奴隷貿易とか移民の問題もかすかに見えてきたよね。しかも、アメリカ軍がこの施設に関して隠していたりもしたり。でも、この作品はシネマプロジェクトとして行われていて、数人のドキュメンタリー映画監督たちがそれぞれの視点でこの事実にアプローチしていたから、映像も多かったし全部観きれなかった(あと暑いし)。

🍋:印象に残っているのは、誰もいない広大な草むらにドローンを飛ばして、その草むらを抜けた先に大きなパラボラアンテナを見つける映像。

🌵:あれがシチリアの現実だったか、というのを突きつけるよね。こんな小さな島だし観光地なのに、でもアメリカ軍もいます、みたいな。いま思うと、本当に沖縄と同じようにも見えてくる。

🍋:確かに言われて見ると。このマニフェスタは、最初にチケットを買ったときに地図を手渡されて各所を巡るんだけど、シチリアの観光地ではない場所を通るようになっていた。歩いて見ると、白シャツにジーンズのイタリア人は少ないし、人種もバラバラ、アジアのどこかの国にいるような気持ちになることもあった。

🌵:この会場の目の前の木陰に黒人のホームレスたちが自分たちのアジトを作っていたのも印象的だったし、この通りはパレルモのボーイズクラブ的な場所で、ローカルな歯のないようなおじいちゃんたちがたむろしていた場所だよね。

🍋:そうだったー。路面にパラソル付きのテーブルを出しておじいさんがたくさんいて、その間を通るのはちょっと緊張した。その近くの小さな商店に入ったの覚えてる?マドンナのMVがかかっていて、それが印象的だった。マニフェスタってなんか秘密結社の集会ぽいっていうか、おそらく住人のほとんどはその存在を知らなくて。それに比べてマドンナの影響力ってどんだけすごいんだ!と思った。

🌵:知ってても、観光産業の一環としてくらいにしか考えていなかったんじゃないかな。マドンナは超人すぎて、MV観ても本人か逆にわからなかった。で、そのあとにOrto Botanico。この植物園は一番興奮した。(下の写真はマニフェスタと関係なく常設されているマリオ・メルツ)

🍋:うん!ミカちゃんはサボテンに取り憑かれたように魅了されていたね。

🌵:いままでサボテンにこんな興味持ったことなかったんだけど、あれは不思議な生き物だよ。この植物園はおそらくマニフェスタのキモ。1789年にパレルモの医療とか植物の自然史研究のために作られたものらしく、そこから外来種の研究場所として発展していったみたい。もちろん、植民地支配の影響もあるしね。興味深かったのは、保存とかしている施設もあったけれど、植物園全体を見ると、厳密に管理はされていなくて、密生しているし、熱帯の気候だからどれも大きくそだっている。

🍋:そうそう!細かいことは気にしない懐の深さを感じる一方、展示されている作品からも保存に対する人間の手つきが見えてくるんだけど…、大雑把なんだよね。

🍋:植物を保管するときに、乾燥させた植物を薄紙で挟んで本のようにして保管するというところからおそらく着想を得た、魚拓ならぬ植拓を作るMalin Franzénの『Palermo Herbal』は、大きな竹をアーティストたちが紙で挟んで足と手で踏んで竹をめりめり言わせながら作ってて、非効率的で雑だなあと思った(笑)

🌵:あれはイタリアクオリティなんだろうか? 基本的に適当(笑)。

🍋:他にも温室にコミッションワークで、綺麗に額装された作品が展示されてたけど、ガラス面に水滴が付いていたり、劣化が早そうでヒヤヒヤした。Alberto Barayaの『New Herbs from Palermo and Surroundings. A Sicilian Expedition』、アーティストがシチリアで見つけた、供物として使われている造花を標本にした作品。

🌵:うん、でも一方で熱帯気候における展示のチャレンジを感じたよ。劣化の問題もあるけれど、日本では考えられないほど大き育った竹林のなかにモニターとメディアプレーヤーとか!ビニールで囲っているんだけど、そのビニールの掛け方もまた適当。でも、あの作品よかったよね。Zheng Boの『Ptridophilia』。竹林でみるエクスタシー。

🍋:大いに笑ったね、あの作品。複数の男性が裸で生い茂った山に分入って、好きな植物を見つけて戯れて最終的に射精していた。

🌵:植物園自体に蚊がいて私はとても恐れていたんだけれど(結果的に20箇所くらい刺された)、裸体で植物が密生することへのなんだろ、エクスタシーとは別の身の危険も感じながら私は観ていたよ。

🍋:それに葉っぱって鋭利だし、戯れると身体中怪我だらけになりそう。

🌵:解説にeco-queer potentialって書いてある(笑)

🍋:ポテンシャル…どういうことなんだろう。ところで、この植物園ゾーンは保存に対する人々の手つきに付いて扱っているのかなと思ったんだけど、この作品はそういう意味で考えるとなんなんだろう。だって、植物と性交しても種を残せないし、保存の失敗について扱っている、ということなのかな…

🌵:Melani Bonjoと同じ立場といえばいいのかな・・? 解説によると、シダ植物は台湾に住む部族にとってはとても大切な植物なんだって。いっぱい生えているし。でも、日本植民地時代と中国政府によって見落とされていたおいう背景が描いてあるけど、映像からはその歴史は伝わってこなかったよね。

🍋:うん。放出された精子が、山の中で行き場なく散っていく哀れを感じた。

🌵:あと展示としてグっときたのは、植物が化石になっている石炭を撮影した写真シリーズを、植物園の隅っこにある石灰石の薄暗い廊下に展示していたMichael Wangの『The Drowned World』とか。

🍋:そうだった。自然が保存した植物の化石を示す写真作品。この作家は他にも作品を出していてた。植物園の壁に橋渡しをつけて、隣を上から覗き込めるようにしていたんだけど、植物園の隣は化石燃料の発掘所?だったっけ。

🌵:いや天然ガスの発電所があった。何万年という生物の営みと保存が一つの枠組みとしてあるんだけれど、でもその地下に眠るエネルギーが産業革命を進めたていったし、後にいかにエネルギーを手に入れるかで植民地支配が強化されていくとか、現代に続く問題といろいろ繋がっていく。だから、マニフェスタにおける唯一のペインティング作品といってもいいと思うけど、ペインタリーな作品がイタリアに住む”西洋”の黒人が描かれたものだったのはとても示唆的というか。もちろん奴隷貿易もあったし、そこから発展した文化的な交流について言及した作品ともいえるけど。

そんな感じで2日目終了。ちなみにマニフェスタは夜の20時まで開いていたりするので、午後をフルで作品を見ることできます。もちろん、植物園は作品抜きでかなり面白い。3日目へ続く。