vol.1🌙インタビュー(パト・ヴィザウアー & 遠藤麻衣)マンガとアニメがファッションになったとき

日本のマンガやアニメは世界的に認知されているが、国や文化を跨ぎながら異なる形で受け入 れられている。サブ・カルチャーの域を超えて高く評価されている場合もあれば、くだらないものとして受け取られていることもあるだろう。そこで、マルスピはフェミニズムやクィアに関わる観点からマンガやアニメについて検討してみたいと考え、ウィーンでクィアやフェミニ ズムをテーマに活動するアーティトのパト・ヴィザウアーと、日本のフェミニストの表象や転化に挑んできている遠藤麻衣の対談を行った。二人とも幼少期より日本のマンガやアニメ、そしてファッションに影響を強く受けてきており、それが現在のアート実践に繋がっているという。対談はアート系のイベントやトークなどが頻繁に行われている cafe Lazy life(ウィーン) にて行われ、 二人のマンガやアニメの膨大な知識に圧倒されることが多かったが、その文化がいかに需要されていったのか、またアートやファッションなどの他分野とどのように関連していたのか興味深い話が展開された。
インターネットが可能にした文化の広がりのなかで、マンガやアニメはどのような可能性を秘めているのか、あるいは何を疎外してしまっているのか。立場によって異なる受け取りの違いを私たちはどのように考えていくことができるのだろうか。


遠藤麻衣(以下、M) :マンガ『Paradise Kiss』(1) が好きだと聞きましたが、いつ頃にそのマンガを知るようになりましたか?

パト・ヴィザウアー(以下、P) :はっきり覚えてないけれど、13 歳頃だったと思います。友 達の一人で中国人だった子がアニメとかマンガのキャラクターをよく描いていて、私たち二人ともマンガ・アニメに興味を持っていました。あるとき彼女が『Paradise Kiss』を学校に持ってきてくれて、すぐに読んでしまうくらい夢中になりました。ファッションの学校に行くという進路を方向付けるものであったし、マンガの中で描かれたデザイナーやファッションの学生、 モデルとしての人生に魅了されました。とくに、オーストリアは 13 歳から14 歳の時に、次にどの学校に行くのかを選択しないといけなくて、その選択でその後の職業が決まります。そういうときに『Paradise Kiss』に出会いました。

M :13 歳で選べるというと早いですね。日本では中学卒業したあたり、15 歳から選べるようになっていて、『Paradise Kiss』の舞台は高校の専門学校かしら。私は、中学生の時に『Zipper』 というファッション雑誌の中に掲載されていた『Paradise Kiss』を知るようになりました。そ れに影響を受けて私もファッションを勉強するために専門学校に行きたかったんですが、15 歳で一人暮らしをして専門に行くというのは全く現実味がありませんでした。なので地元の進学校に進んで美術部に入りました。

P :『Paradise Kiss』が『Zipper』に掲載されていたのは知っています。当時すでに、写真やアー ト系の本を見るために日本の雑誌をオンラインでダウンロードしていましたし、矢沢あいのファン・ページがいっぱいあって、本がスキャンされていました。単行本の横に付いているコラムにはマンガの背景とかも書かれていて、そこでファッション雑誌に掲載されていることも知りました。すべてドイツ語に翻訳されていましたし。

M :そうなんですね。『ご近所物語』(2) も読みました?

P : ドイツ語圏では『NANA』(3) が最初に出版されて、数巻出たあとに『ご近所物語』が翻訳されました。『ご近所物語』の 80 年代、90 年代的スタイルの感性がとても好きです。あと、全 てのキャラクターが立っているし、それぞれが人格をもっている。コミュニティーとして一緒 に活動していくところや、大きなプロジェクトを実現してくところがとても好きです。矢沢あいは病気になって『NANA』を休載して いますが、物語が完結するのを待望している人は多いです。私もたまにインターネットで新しいニュースがないかを調べています。

M: 日本では、マンガとファッションが接続していたのが、『Zipper』 などの 2000 年代でした。小学生の頃、私はマンガで描かれるファッ ションはちょっとダサいというか、現実のファッションの流行と接 続しないものだと思っていました。なので、矢沢あいの『ご近所物語』 が『りぼん』に掲載され始めた時は、衝撃を受けた記憶があります。 『ご近所物語』が出てきたことで、ファッション雑誌の世界とマンガの世界が繋がったんです。ファッション雑誌に掲載されている読者モデルと、マンガに登場するキャラクターが同じ流行を追っている。その後、『Zipper』で ご近所物語続編である 『Paradise Kiss』の連載が始まって、『りぼん』読者としては二つのメディアがスムーズに連環 しました。同時に『cutie』では安野モヨコの『ジェリービーンズ』がやっていて、別冊では手作りブックがあったり、型紙がついていたり、自分で好きなものを作るのが流行った時代でした。

P: 私もロリータファッションの型紙をダウンロードしました。

M: そうだったんですね! 読者モデルがたくさんいて、友達は皆んなそれぞれ違う読者モデルに憧れていました。

P: きゃりーぱみゅぱみゅもでしょ ? 東京のファッションで良かったのは、みんなモデルみたいな人だけじゃなくて、実際の人も追いかけていたことだと思います。『KERA』という雑誌も好きで、ロリータのアイテムを他のブランドと組み合わせたりしていてとても刺激的でした。

M: そういえば、2006 年に『リアルクローズ』(4)と言うマンガもありました。『プラダを着た悪魔』 の日本バージョンのような。主人公はデパートのバイヤーで、H&M などのファストファッショ ンが流行りだした時に、どうやってデパートを再興しようとするかという話でした。

Pato Wiesauer, Doll becomes them
2014, Photography

P: 何個か記事を読みましたが、原宿のストリートカルチャーもファストファッションに対し て苦戦しているようですね。皆が同じような服を着ているいまに比べると、当時はもっと多様性がありました。ロリータのお店も閉まり始めていて、店舗だけでなくブランド自体がなくなっていっています。

M: だんだん無印とかユニクロとか、ノームコアとか、そうゆうシンプル思考に変わっていったように思います。20 代前半に銀座のバナナリパブリックでバイトをしていたのですが、頑 張りすぎるファッションはイタイみたいな空気を感じました。派手で目立つものより、着回しがきく安価でベーシックなものの方が売れやすくなってきていた頃です。アイデンティティー とかを見せるような場所ではなくなったのかも知れませんね。

P: 日本のファッション雑誌とかブログなどを今でも追っていますが、流行がすごい速さで進化してすぐに消えていっていますね。2000 年代や、初期のギャル文化、ロリータ・ファッショ ンでさえ数年は支配的だったと思います。ファッション学校で卒業プロジェクトとして、50 年代から続く日本のストリートファッションの進化について書きましたが、とくにギャルとロ リータ文化に焦点を当てました。ロリータ・ファッションに着想を得てコレクションも作って おり、15 着のオリジナルのデザインと型紙も発表しました。

ジェンダーレスがトレンドになっていますが、どう思いますか?

P: Tokyofashion.com の記事で、りゅうちぇるやペえが紹介されているのを読みました。「まさに数年前からあなたがやってきたことが、いまトレンドになっているよ!」と何人もの友達が言っていました。この方向にトレンドが関わってきたのはとても良いと思います。ただ、日 本のポップカルチャーは本質的に全て表面的だという印象を持っています。全て幻想であってそれが表面的に起きているにすぎないし、ある種の生き方をしているわけではない。だけど、 ヨーロッパの服装事情と比べると、“ ジェンダーレス ” な服装をしていても、それで人を判断したりしないと思いますし、ましてや脅したりすることはないでしょう。 また、男装という、主に女性が男性の服装やそれに相応しいスタイルをする文化はずっとあると思います。
私はヨーロッパのロリータファッションのイベントに何度か参加していますが、 アムステルダムで開催された国際ロリータティーパーティーに参加した時に、アキラ(5)という男装のモデルに会いました。タバコを吸いに外に出ると彼女も出てきたので、友達と一緒に写真を撮りたいとお願いしたんです。すると突然、彼女は驚いた顔をして「あなたは女じゃないの?」と聞いてきたんです。彼女は、私が身体と性自認が一致した女性でないとわかるとショッ クを受けたようでした。その後、彼女が通訳の人に話しているのを耳にしたのですが、「彼女は男なの?」と尋ねていたんです。男装をしているモデルが女や男に当てはまらない性(ノン バイナリージェンダー)やトランジェンダーのアイデンティティーを受け入れることもできなければ知識もないということに、とてもイラ立ちました。彼女にとっては単に着るためだけのコスチュームにすぎないようでした。私が言いたいことは、マンガやアニメにはそういうノンバイナリーなあり方を体現しているキャラクターがたくさんいるのに、現実では家族から拒否されたり仕事が見つからなかったり、日本ではそうゆう感じでしょう。それはつまり、スクリーンや雑誌、舞台上などのエンターテイメント産業であったり、距離を置いて見られる限りはトランスでいることは OK ということなのでしょうか。そこには女性や男性に当てはまらい人間 にたいする寛容さがないように思います。

マンガとアニメのエスティックの受け取り方

M: 『Paradise Kiss』に描かれている人たちは基本的にマイノリティーじゃないですか。通常の進路にはコミットできなかった人たちがコミュニティーを作って、ブランドを立ち上げる。「普通」との違和感を感じながらも目標を実現して行く所に読者は夢中になったり共感したりしていたと思います。ただ、田舎で育った自分は、高校の風紀が厳しくて(6)、日常の服装の自由が限られていたため、『Paradise Kiss』で描かれる東京の文化はどこまで行っても非現実で した。地元にいた頃の自分を思い返すと、テレビや雑誌だから OK というよりは、そこに映っ ているのは「東京」で、そもそも自分の現実と繋げてはいませんでした。日本と一口にくくっ ても文化格差は激しいので、私のように感じている人はそれなりに多いのではないかと思いま す。それよりも『花より男子』や『ピーチガールズ』のような高校を舞台にして、いじめ、校則違反、問題行動などが描かれる話の方が自分の現実の延長上に感じられました。こちらは、 いわゆるかっこいい男子と結ばれる少女マンガの定型がベースで、異性愛しか出てきません。 私もちょっとだけロリータファッションをかじったんですが、ロリータファッションというの は、周りが自分から距離をとると同時に、自分のための鎧でもありました。

P: 数年前の私にとって、ドラッグ・クイーンになるということがメカニズムをコピーしたり、 鎧としての形式であったということと似ているように思います。さっきおっしゃっていたように、マンガの可能性の一つとは、マイノリティーのグループがコミュニティーを作って一緒に成長するのを見せることによって、共感できるということですよね。『ParadiseKiss』は幸せな異性の恋愛関係という形では終わらなかったし、ゲイやトランスジェンダーの表象を視覚化して共感できるようなものとしていました。当時はそういう知識がなかったので、最初にマンガを読んだときとは奇妙に思いましたが。麻衣さんは、フェミニズム的な観点から描かれたマンガがあると思いますか ?

M: 色々あると思います。ただ、例えばディズニーが描くような、社会を変革するような強い意志をもった女性のマンガはあまり思いつきません。90 年代に読んでいたもので例をあげるとすれば、『子どものおもちゃ』は、色々な家族のあり方と問題を描いていましたし、主人公の小学生の紗南は、学校で起こるいじめや先生いびりなどの問題に対して果敢に挑んで状況を変えていました。また、『きんぎょ注意報』は、当時の少女マンガの定型をパロディ化してギャ グとして扱っていて、今思うと自己批判的で面白いです。主人公の内面が描かれずに空っぽなため、当時は不気味だったと思っていた点などもフェミニズムという観点で読み直してみたいですね。

P: 私たちができることとは、描かれたものからフェミニズム的な観点を受け取ることであり、 それをもっと前へと進めていくこだと思っています。私は『下妻物語』も好きで、とてもエンパワメントな映画だと思います。主人公の一人を演じた土屋アンナは『Zipper』のモデルでした。

M: 彼女は最初は清楚なイメージの “ ハーフ ”(7)として出てきたけど、そのあとロックやパンクに転向しましたね。

P: でも、そのロックとはファッションだけの話で、批判的なものは見られませんよんね ? 西欧におけるロリータのコミュニティーは、ロリータファッションはファッションだけではなく、 彼らの生活スタイルそのものであると言います。全身にロリータの服を来ていなかったとしても、ロリータでなくなるわけではないということです。ロリータの文化は西欧の追随者やコミュ ニティーによって変形したし、違う形で発展してきていますし、新たな意味も組み込まれてきました。ウィーンにも、お茶会を開催しているローリータ・ファッションの団体があります。 以前、ロリータのファションデザイナーに質問できる機会があったんですが、その質問の一つがロリータはファッションなのか、ライフスタイルなのかどうなのか、ということでした。その デザイナーは、「単にファッション」と言っていたことを覚えています。

M: 私も、ロリータファッションは週末限定だったし、自分のスタイルとは直結しませんでした。ただ今の自分にとっては、彼女が「単にファッション」と言ったというのはすごく共感します。気分で脱いだり着たり責任が軽いのが良いです。

P: ロリータを着るということはファッションを通してそのコミュニティーに所属するとことを何よりも意味します。ギャル文化もコミュニティーとして考えることができるのではないしょうか。ヨーロッパでは、ロリータ・コミュニティーの人がコスプレをしているのかと聞くことは、とても失礼だと思われています。ヨーロッパのロリータにとって、衣装はコスチュームではなく、政治的なステートメントでもあります。現在、ディプロマの論文を書いていますが、セーラームーンはクィア・フェミニズムの可能性が秘めたものであるということについてです。西欧的な観点からいうと、セーラームーンはエンパワメントであると捉えられています。 西欧と日本での認識の違いも検証したいと思っていますが、日本にもそういうポテンシャルが あるものとして考えられているのでしょうか。 一方で、文化的なアプロプリエーションの問題に接触してしまうのではないかと葛藤もしています。とはいえ、セーラームーンはクィアな関係性やフェミニズム的な力、あとはクィア的な家族の形とやトランスのキャラクターなどそういうものを見させてくれたものです。たくさん の事柄を得られたという事実はともて面白いです。おそらく、日本では違うように受け取られ ていると思いますが。

M: 私たちがセーラームーンを見ていたとき、同世代の友達はみんな、セーラー戦士になれると思っていました。主人公は泣き虫でおっちょこちょいですが、キャラクターがそれぞれ違う能力を持っていて個性があって、みんなで協力することで一人ではできないことを達成してい ました。私は今でも友達と協力しあって、なんとかうまくやっていくということを信じていま す。それは、私たちの前の世代とは違うと思います。例えば、わたしの母は「女の子が頑張る」っ ていうと、『エースをねらえ』や『アタックナンバー 1』を例にだして話してきます。それは 精神的にも肉体的にもガンガンしごかれて、辛くて泣きながらも頑張って最後に勝利するとい うスポ根マンガです。それも、たった一人のコーチ ( 男性 ) がいて、彼に才能を見出しされ育てられて成長するって話 ! 一方で、セーラームーンに出てくる男性といえばはタキシード仮面 ですが、彼はバラを投げるだけの優男。ただ同時に、『家なき子』のようなドラマもあって、 それを模倣するように学校で一人の女の子が多数の女の子にいじめられるという構図もありました。

P: 女性の団結のようなことがないということでしょうか ? それは悲しい事実ですし、女性嫌悪が内面化されてきているという現実を反映しているとも思います。

M: 友達が結束するのはあると思いますが、一方で、結束によって誰かを排除するという状況も同時に生じていました。

Pato Wiesauer, Magical Girl Episode 1 (video still), 2017 Video-Essay, 3:55 min

P: 細い身体や異性愛的な価値を基盤にしている点において多くの批判があるとは思います が、私がセーラームーンを評価しているのは、彼らは依然として人々の多様性を見せているからです。みちるとはるかは、どんなセクシュアリティを持っているのか疑問を呈されることなく、同じコミュニティに存在することでき、揶揄されることはありませんでした。アメリカ版では、規制によって二人の関係はいとことして描かれています。しかも、男性から女性に変化したセーラースターライツは登場せず、女のような男として描かれたゾイサイトは女性に変え られました。ほんの少しの細部であっても、クィアとして読まれる可能性があった事柄を全て変更したということはとても興味深いです。

M : そうなんですか! それは知りませんでした。作者の武内直子さんはフィギュアスケートが 好きで、そこからデザインを取り入れていらっしゃるようです(8)。体の細さはその美的感覚なのかもしれません。当時の読者としては、はるかが男か女かは全く気にならなりませんでした。 小学生の自分にとっては、まだ、女が男になったり男が女になったりするって、そういうこともあるだろうなあとすんなり了解できた。今思うと、あの頃はまだ性別役割がそこまで自覚さ れていなかったのかもしれません。その後、中学に入って制服などの強制によって、性別を認識するようになったと思います。

アートプラクティスにおいてどう影響しているか

Pato Wiesauer, Untitled (not your accessory) 2016, Photography

P: 私の世代はマンガとアニメがヒットした時代です。子どもの頃は、ポケモンにセーラームー ン、ドラゴンボールなどたくさんのアニメをテレビで見ることができました。アニメやマンガのお絵かきの広告もたくさんありました。ほとんどみんなアニメを見てた。そのうち何人かはマンガを読むようになっていました。そこから、日本のポップカルチャーに対する興味に発展させていった人もいます。最近はどうなってるかはわかりませんし、テレビでもそんなに放送していないと思います。90 年代後半から 2000 年代まで、オーストリア国民放送である ORF と RZL2 というドイツのプログラムが午後にアニメを放送していました。 ただ、私は 10 代の時にマンガを読んでいましたが、マンガを読むというのはからかいの対象でした。私が美術高校に志願した当時、美術学校はマンガのドローイングを受け入れてくれま せんでした。アニメやマンガの誇大広告がたくさんあって、それゆえ、真面目なものや価値あるものとして捉えられなかったのです。「これはアートじゃないし、そんなもの見たくない。」 という感じです。マンガやアニメの美学に対する芸術分野における拒否は、古典的な差別と関わっていると思います。美術大学では今でも、あまりサブカルチャー的なイメージを見たくないんだな、と感じています。 そういう訳で、マンガやアニメのアプロプリエーション作品や、日本ポップカルチャーに興味を持っているということを明るみに出すには長い時間がかかりました。特に大学での最初の2 年間は、日本のポップカルチャーに興味を持っていることと、アートを勉強することは全く別々のことでした。なぜ一緒に育ってきものを否定しなければならないのか? なぜ私は影響を受け てはならないのか? 今は、幸いにもそういうことをオープンに活動することが出来ています。

M: 日本も同じで、美大に行くと「マンガっぽい」と批判されることがあります。ですが、日本には、村上隆さんを筆頭として西洋アートへのカウンター、マーケット的戦略としてアニメをアートのコンテクストにのせた方がいるので、ビジュアル表現としてマンガやアニメ表現を使うとむしろその文脈を考えざるを得ないのではないでしょうか。

P: 私がファッションスクールにいた頃、私のデザインはアニメやマンガに影響を受けすぎて いると言われたことがあります。私は必死にそれを否定して、その美学から離れようと努力しました。だけど、ファッションドローイングもかなり歪んだイメージを使って、女性の身体を 理想化したりファンタジー化させているのでばかばかしくなります。このようなファッションのドローイングは良いものとして好まれるのに、どうしてマンガ的な目はダメなのでしょうか。

M: 私も小学校の図工で自画像の課題があった時に、目が大きくてマンガっぽいから直せっていわれたことがあります。自分を美化して描くんじゃなくて、もっとリアルに描きなさいということを言われてとても恥ずかしかったのを覚えてます。目に見える現実の世界は、マンガやアニメのイメージの世界とは分け隔たれているんだとその時強く思いました。 今の作品制作でいうと、例えば作品を構想する時のドローイングは、マンガやイラストで描くことが多いです。パフォーマンスのシチュエーションや時間の流れを脳内で構想する時に、マ ンガのビジュアルだとイメージしやすいというのがあります。

遠藤麻衣《フランス・パンさん》2017
ポートレート, 撮影:皆藤将

P: 私も同様に、日本のポップカルチャーは私の芸術実践に間違いなく影響を与えています。ドラッグ・クイーンとしてパフォーマンスをした時やセルフポートレートを作った時に、これ らの美学を使いました。最近は、魔法少女というジャンルとテーマを取り入れたビデオ作品も作りました。そこでは、“ 魔法少女 ” という言葉を、女性や男性という二つの枠組みには当て はまらない、トランス * フェミニンのアイデンティティーの同意語として使用しています。し かし、こういった活動もまた、文化を賞賛する一方で盗用しているという表裏一体のものだと 思っており、それに関しても興味があるし挑戦のしがいがあると思っています。長年に渡って 日本のポップカルチャーや文化一般を見てきていますから。クィアやフェミニズムの理論とともに、日本のポップカルチャーを一緒に扱うことはとても刺激的なことだと思います !

M: 私は価値観やものの考え方にも影響があると思います。例えばセーラームーンで、プラネットシステムとそれに対応する守り神、前世、生まれ変わりを知りましたし、最近では宝石の国 が、実際の鉱物の特性に即したパーソナリティを与えたキャラを造形したことによって、現実の鉱物に対して個別のキャラクターを感じ、強く関心を持つようになりました。ただ、思春期に見 ていたマンガやアニメは、それを好きだと自覚しないほど見るのが当たり前だったので、自分の血や肉になりすぎていて、影響が自覚しづらいというのが実情です。大人になって環境が変わったりして、やっとそれが好きなものだとわかるように なりました。そういった世界観や価値観にすでに影響を受けてしまっている自分としては、アートプラクティスでは、影響を腑分けする作業の方が多いと言えます。

(1)  çŸ¢æ²¢ã‚い作。1999 年から 2003 年に雑誌『Zipper』(祥伝社)に連載。
(2)  åŒã˜ãçŸ¢æ²¢ã‚い作。『りぼん』(集英社)にて 1995 年から 1997 年に連載。
(3) 同じく矢沢あい作。『Cookie』(集英社)にて 1999 年から連載し、2008 年より休載中。
(4) マンガ雑誌『YOU』に掲載されていた。この雑誌の読者層は20代後半からと大人向け。
(5) 『KERA』の有名男装モデル。ロリータモデルの男役として添えられることが多い。たまに可愛い格好をして意外 な一面を見せることも。
(6) 例えば女子は、髪の毛の長さ、スタイル、スカート丈や靴下の色と長さ、ノーメイクと言ったことが規定されていた。
(7) 手足が長くて鼻筋が通っていて「日本人離れ」している人を指す言葉としても、当時の雑誌にもよく登場していた。
(8) アニメでシーズンディレクターを担当していた幾原邦彦氏の発言による。



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