あいちトリエンナーレ2019の記者会見において、「ジェンダー平等が実現」と宣言されたように美術界においてもやっとジェンダーの根本的な改革が始まったように思われます。しかし、「平等」への違和感がマルスピの編集チームにはありました。そのための結論を出すのではなく、マルスピは語る土台を作っていきたい。そこで、まずは編集チームの丸山美佳が3年前の2015年3月14日に自身のブログに掲載していた文章をここに再掲載します。
ゲリラ・ガールズ(Guerrilla Girls)は 1985年にニューヨークで結成された匿名のフェミニストたちによる芸術家グループである。彼女たちは、毛で覆われたゴリラのマスクをかぶって、美術史に残る「女性」芸術家の名前を用いながら、路上や美術館のトイレ、ビルボードなどにポスターを貼り、美術界、あるいは映画界といった文化に携わる分野におけ る性差別および人種差別の現状を皮肉とユーモアを用いて暴き出し、フェミニストの強い主張を提示する活動で有名である。
ゴリラのマスクの使用は、ミススペル「ゲリラ(Guerrilla)」→「ゴリラ(Gorilla)」から始まったものだが、彼女たちの匿名性を守るとともに不気味で不相応な見た目と、鮮やか黄色とゴシック体を使ったポップなデザインは、初期フェミニズムの活動の中でもひときわ印象が強いものだった。アングル(Dominique Ingres)の『横たわるオダリスク(La Grande Odalisque)』(1814年)をパロディ化した“Do women have to be naked to get into the Met.Museum?…”(「女性はヌードにならなければメトロポリタン美術館に入れないのか?—近代美術の展示作品のうち女性アーティストの作品 は5パーセントだが、ヌード作品の85パーセントは女性」)(1989年)は、現代美術におけるフェミニズムの一つの金字塔であった。
リンダ・ノックリン(Lynda Nochlin)がそれより以前に「Whyhave there been no great women artist?」(1971年)と 疑問を投げかけたように、芸術の社会性とその経済活動における女性の不在は、芸術が基本的に男性中心的な社会の産物であることを暴露したが、ゲリラ・ガー ルズは芸術における女性は一貫して描かれる対象 —しかも裸体で、男性の眼差しによって見られる対象— でしかなかったことを、公衆の面前で、しかもきわめてわかりやすい形で暴露したのである。一方で、「女性」アーティストになるということには利点もあって、それは成功に対してあまりプレッシャーを持たなくて いいということであると、彼女たちはアイロニカルに付け加えている。なぜなら、彼女たちによれば、「女性」アーティストである限り成功する確率は最初からきわめて低いからだ。
とはいえ、そのような初期フェミニズムから時代は移ってきている。現代においては「白人男性」アーティスト以外の「女性」アーティスト、あるいは「有色人」アーティストが活躍するのを目にするのはめずらしいことではない。それは時には「フェミニン」なものとして、あるいはそうではないとしても積極的に取り入れられるべき「差異」として受け止めようというかつてとは違う文化背景を前提としている。ゲリラ・ガールズの活動はその状況以前の、まだ芸術が閉じられた空間で男性ブルジョワジーの所有物として振る舞っていた時代に対する強い不満の表明であった。
現在の状況において、これらの初期フェミニストの活動が今なお有効だとは思わないが、この数十年間の変化を考えてみれば、彼女たちの活動はなくてはならないものであったと思う。とくに、自らの(名前と顔を出した)制作の傍らで、ゲリラ・ガールズとしてアノニマスに活動することは、表現者として自分の作品がどのような目で見られているかということを強く意識した行為とも考えられるし、ある意味では「女性」というカテゴリーで見られることに対する拒絶を示す能動的な行為であったのではないかとも考えられる。
しかし、最も驚くべきことは、この活動が1980年代半ばから現在に至まるでずっと活発に継続していたという事実である。今年2015年はグループ設立から30周年にあたり、その特別レクチャーがウィーンの美術アカデミーで行われ、設立メンバーであるケーテ・コルヴィッツ(Kathe Kollwitz)とフリーダ・カーロ(Frida Kahlo)によるプレゼンテーションがあった。歴史の一部としてのみゲリラ・ガールズを認識していた私にとって、彼女らが現在もなお活動を続けているという事実は、きわめて不思議なことであったし、このレクチャー/プレゼンテーションに参加することによって様々なことを考えさせられる機会になった。
会場は多くの人で溢れていた(決して女性だけではなかった)。記憶が曖昧だが、一般的にはアカデミックな分野において女性の占める割合が20パーセント以下であるのに対して、事務職員を含めて80パーセント以上が女性であるこの美術アカデミーにおいては、フェミニストであることは当然のように受け入れられている。女性が働きにくい職場なんてものはもっての外であり、赤ちゃんや子どもを連れてきて授業を受けているクラスメイトも数人いる。
そんなアカデミーの会場で、二人はもちろんゴリラのマスクをつけながら、よく準備された何十枚ものパワースポイントを見せ、彼女たちの30年間の活動と今 なおフェミニストである必要性を適度に笑いを取り入れながらも、強く主張していた。自分たちの個人の制作活動のかたわらで、同時にアノニマスな存在として 活動することの基本的な目的は「挑発」であり、「Be a creative complainer(創造的な不満家になりなさい)」と何度も繰り返すように、性差別や人種差別がいまだ芸術において広く存在しているという事実を世論に訴えようとするのである。彼女たちが言うには、オークションでの落札価格、大きな美術館での個展の回数などなど、いまなお女性アーティストの存在は男性 に比べると圧倒的に弱く、さらにメトロポリタン美術館の近代美術の展示での「女性」アーティストの数は減少した一方で、女性の裸体像は増えたのだと言う。 それが有色人種やクィアたちとなると、その割合はさらに低くなる。
なぜそうなるかと言うと、芸術そのものが過去の男性社会によって作り出されたものであり、女性やマイノリティは結局はその「異種」、「変わり種」として芸術に入っていくことを許されるという視点で見られているからである。彼女たちはそのような事実を示し「挑発」するだけで、そこに意義を感じているように思われたが、実際のところ、数字上で男女間に差があることが問題なのではないと私は思う。もしそれを糾弾して解決を求めて、それが受け入れられたからといって、それは政治家が女性の社会進出を数字の割合として増加させるために、形の上だけ積極的に女性を採用しようとする逆に不平等な状況を思い起こさせる。
「女性」アーティストだから採用されたといって、喜んでいていいものだろうか?
もし彼女たちの言うように、近代美術の展示における「女性」アーティストの作品数を増やして裸体の女性像を減らしたからといって、それで美術の歴史は変わるだろうか? あるいは、私たちが今まで習ってきた美術史における巨匠や名作の歴史は虚構として投げ出されることになるのだろうか? メトロポリタン美術館に行ったら、教科書に載っているような作品が一切見られなくなるということなどあるだろうか? あるいはそんな男性中心の芸術を完全に無視したからといって、それで新たな芸術の世界がひらけるだろうか?
挑発のその先にあるのはそのような芸術の歴史という記述されてきた途方もない膨大な出来事ともう一 度正面から向き合うことである。そう思うと、30年前に結成されたゲリラ・ガールズの問いかけは今でも全く変わっていないとも思われるし、このような活動 がいまなお挑発性を失っていないという現実に対して改めて複雑な思いに駆られてしまった。
芸術と向き合うとき、私たちは作品だけでなく、その向こうにいるアーティストに思いを馳せることがある。ゴッホの作品がゴッホ自身の狂気と結びつけて語られるように、芸術がいかに「作者」という呪縛から逃れようとしても、その存在につねに回帰してしまうことがある。それは、不必要に伝説化するというような悪い方向に働く時もあれば、文脈を排除してきた閉鎖的な芸術の解体へと働く場合もある。また同時にそれは、「作者」が「男性白人社会」という虚構における「差異」としての「女性」や「マイノリティ」であった場合、過去の「女性」アーティストが「フェミニン」なものとして評価されてきたように「差異」がそのまま作品に投影されてしまうこともある。
私はアーティストの文化的背景やその投影を積極的に捉えるべきだと思う一方で、それが「男性白人社会」という虚構に対してである限りは、その虚構との対立こそ解体すべきものなのではないかと考えている。しかし、フェミニズムといいながらも、女性の中にも「白人」から「有色人」というまた違った差があり、一 つのジェンダーでくくることにも限界がある。また、そもそも「作者」「作品」「美術」といった芸術を取り巻く文化制度は白人男性中心の「近代市民社会」と不可分な関係で出来たものであって、そのような市民社会や民主制という枠組みと密接に結びついた芸術の枠組みを残したままでは、そう簡単には解決付かない問題と結びついている。少なくとも、そのことは何度でも振り返るべき問題として残されているのである。
===レクチャー/パフォーマンス情報==
日時:2015年1月21日(水)19:30
会場:ウィーン美術アカデミー(Detail)
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